今回はこのサイトに寄せられた妊活体験談を紹介していきます。
貴重な体験談ありがとうございます。
性別:女性
妊活開始年齢:27歳
妊娠年齢:27歳
▼以下体験談▼
目次
結婚してから1カ月でなんなく妊娠!しかし胎盤ポリープが…
27歳の時に2年付き合った彼と結婚をしました。結婚後は当たり前のように妊活をスタートさせました。
そんなに簡単に妊娠することはないだろうと考えていましたが結婚した翌月のに妊娠が発覚。結婚から妊娠まで流れるようにイベントが立て続けに発生していきました。
ですが、今思えばあの頃は『子どもができる』ということに対しての考えが甘かったように思います。と言うのも、結婚式が終わってすぐの妊娠ということで貯金がほとんどない状態だったのです。
そんな中、胎盤にポリープがあることが妊娠初期の段階で判明しました。なので通常より頻繁に産婦人科に通わなければなりませんでした。
市から母子手帳と一緒に検診の割引き券を貰ってはいたものの、頻繁な通院によって診察料が重む一方でした。
事態は切迫流産に発展!入院生活のスタート!
そして妊娠4カ月目には切迫流産で入院。(切迫流産というのは「流産しかかっている状態」を指します)
入院した先はMFICU(母体胎児集中治療室)でした。MFICUでの入院費用はなんと1泊3万前後であると病院から知らされました。
しかも、身体の状態によっては「出産するまでMFICUから出られない」なんて人もいるらしく、「そんなことになったら、入院費用はいったいいくらになるんだ…」と、正直お腹の赤ちゃんのことより頭の中はお金の心配でいっぱいになりました。
しかし、すぐにお金よりももっと重大な問題を突きつけられました。
切迫流産は子宮頚管が短くなっていて今にも赤ちゃんが出てきてしまいそうな状態なため、入院したその日には子宮頚管を結ぶ手術を受けることになりました。
けれど、手術を受けたからといって必ず流産を防げる訳ではないのです。
それどころか、最悪の場合には手術中に破水してしまい、そのまま流産へと繋がる恐れもあると主治医から説明を受けました。不安な気持ちでいっぱいになり、色んな感情が溢れて泣きながら手術を受けたことを覚えています。
手術は無事成功!病棟も大部屋に移動が決定!
手術は無事成功したものの予断を許さない状態とのことで、数日間は病室内以外の移動は全て車いすでの移動でした。
お風呂はシャワーのみで、シャワーに行くにもわざわざ看護士さんを呼び、車いすで連れて行ってもらって終わったら車いすで連れて帰ってもらう。情けないやら申し訳ないやら、自分で自由に動けないもどかしさだったりでとても精神的に辛かったです。
数日後、大部屋に移動になりました。同室の人達と仲良くなり、MFICUとは違い楽しく過ごすことが出来ました。
先輩妊婦さんもいて、色んなことを教えてもらいながら、また、大部屋で過ごす間、数人の方が出産を迎えられました。みんなで喜びを分かち合ったり出産時の話を聞いたりして、妊娠に対して不安や恐怖を感じながらも出産が待ち遠しかったりもしました。
ですが、そんな楽しい日々もすぐに終わりを迎えました。
2度目の手術に成功!しかし突如破水が!
前回の手術で結んだ糸が取れかかってるとのことで、2度目の手術が行われることになり、またMFICUへ逆戻り…。1回目の手術より危険度が増すことを知らされ、またもや不安な気持ちいっぱいでの手術でした。
そんな逆境ではありながらも、先生たちのおかげで2回目の手術も無事に終わりました。その後は、またMFICUで暇な日々を過ごしていましたが悪夢は突然訪れました。
入院してちょうど1ヶ月が経とうとしていた頃の深夜、突然の腹痛とお腹の張りが私を襲いました。張り止めの点滴をしたり座薬を入れたり、色んな処置が行われました。気づいたら時刻は午前3時…日付はもう変わってました。
お医者さんや看護婦さんの懸命な処置もあってやっと腹痛とお腹の張りも治まり一安心した矢先のことでした。その日の正午に寝返りを打とうとした時、股のところに生暖かいものが広がる感覚がありました。
破水でした。この時、妊娠24週目…まだ生まれてくるには早すぎるけど、NICUで生き延びることができるかもしれない…そんな時期でした。
赤ちゃんには重い障害が残る可能性が…出産は断念
先生に診察してもらった結果「子宮内感染」を引き起こしていることが分かり、小児科の先生との相談の上「今回は子どもは諦めたほうがいい」とのことでした。
「延命処置を行ったところで、ほぼ助からない。助かったとしても、一生寝たきりになるような、重い障害が残る可能性が高い」とのことでした。
旦那と相談した上で延命処置はとらないことを決めました。
破水後すぐに陣痛が始まり、破水から約4時間後の16時30分に産声もあげることなく体長30cmの小さな小さな男の子が産まれました。
小さいながらもしっかりと爪やまつ毛があり見た目は普通の赤ちゃんと何も変わらない、とってもとっても可愛い男の子でした。
結婚して、妊娠して、子どもが産まれるということは当たり前だと思っていました。だけど、この時『妊娠・出産は、決して当たり前なことではない。とても奇跡的なことで、とても命懸けなことなんだ。』そう感じました。
出産後、子宮内感染の影響でしばらく高熱に悩まされました。それでも息子の葬儀・火葬に立会い、熱が下がるまでの数日間、赤ちゃんの泣き声で溢れる産婦人科病棟内の個室に入院していました。
妊娠してるわけでもなく、授乳するわけでもなく、ただ1人、食事も取らずに呆然と過ごしていました。
辛い妊活生活だったけど次に向けてまた頑張る!
熱が下がり、退院後もしばらくは突然悲しみに襲われ1人泣き続けたり、ただただ呆然と過ごしたりしていました。1番辛かったのは、妊娠しているわけでも赤ちゃんがいる訳でもないのに産婦人科へ産後検診に行かなければならなかったことです。
周りは赤ちゃんを抱いていたり、大きいお腹を大事そうに撫でている幸せそうなお母さんたちで溢れています。死産した者にとっては、その光景はあまりにも辛いものでした。
しかし、主治医はそんな気持ちもきちんと受け止めてくれ、次への妊娠に向けてきちんと考えて診察してくれました。また同じ結果にならないように、少しでもリスクを下げるために細かく検査をしました。
現在は、また妊活を始められるようになったので、今度は経済面・健康面をきちんと考えて、妊活に取り組もうと思っています。
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